先週金曜日、
2025.3月14日 悪性リンパ腫で兄が亡くなった。
亡くなって今日、3月22日(土曜日)で8日目。
少し気持ちは落ち着いたが、未だに信じられない気持ち。
まだ、58歳で、去年9月頃、
別の兄とだんじりに行った写真を見せてもらって
全然元気な姿を見ていたのに・・悲しい
ブログに今の思い、兄への思いを書き残したいと思い書いています。
去年に関節リウマチの診断され
実は昨年10月頃、
兄は
朝起きたら身体が痛くてたまらなくなり、
病院に行き、2週間ほど、検査入院。
検査の結果、関節リウマチの診断をされていた。
後から聞いた話だが、本人は
兄弟に心配かけたくないと言っていたらしく、
病名、入院したことを言わないでと言っていたらしい。
ただ、一人の兄弟に言っていたらしく、
俺の方にも
別の兄弟から12月に聞き、
仕事も関節リウマチと診断されて
11月から休職してるらしく、
まあまあ重い病気なんだと思い、心配で
スグに電話した。
電話したら、「大丈夫や」と言っていた。
声のトーンも、以前のように元気な感じだったのでホッとした。
俺「仕事してなかったら暇やろ」
兄「そやわ。ユーチューブも観まくって飽きてきたわ・笑」
俺「死ぬ病気ちゃうやろ?」
兄「ええ薬もあるし、死ねへん、死ねへん」
俺「なら、よかったわ」
こんな感じで、そのあと結構いろいろ喋り、
安心して
その時は電話を切りました。
入院前
1月、関節リウマチの薬が効き始め
関節リウマチの痛みが緩和され、兄も喜んでいたみたいで、
良かったんですが、
2月の始めごろ、
関節リウマチの薬の影響?か分からないが
自宅で急激な体調の変化があり、
強烈な貧血になり
かなり身体がキツイので、
病院に行くことにしたみたいなんですが
一人自力で根性を振り絞って
病院玄関まで何とかたどり着いたけど、
そのあとの記憶は無いと
お見舞い(3月1日・土曜日)に行ったとき言ってました。
病院にたどり着いたその後、
ストレッチャー載せられ、即入院になりました。
血を調べたら、
赤血球の数値が、かなり少なくなっていて、
もう少し遅ければ、危険なレベルだったようでした。
検査入院の結果
結局、その流れで、検査入院(病理検査)となり、
病名が確定するまで、3週間ほどかかりました。
病名は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
グーグルで調べたら
悪性リンパ腫のなかで最も一般的なタイプで、
全悪性リンパ腫の3~4割を占めるらしいです。
「大変な病気になってしまったなあ」と、
内心思い、かなり心配でしたが
芸能人の方で
治って普通に頑張っている方も
いるみたいだったので、
その心配を忘れたい思いがあったので、
悪性リンパ腫で頑張っている方のブログなど読み漁り、
自分の心を落ち着かせました。
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